教育天声人語
65年前の担任と話す


  小学校のクラス会の幹事から電話があったので、仕事場を自宅に移したときに紛失し
 ていた小学校4年・5年時の担任だった先生(女性)の住所を教えてもらった。連れ合
 いを亡くし、お一人で生活されているということだったので、少量ずつ多品種の食品を、
 最近書いた記事3つほどを添えてお贈りした。
  自宅に電話があった。たちまち、「安田君、元気そうで何よりだわ」「武井先生(結婚
 前の旧姓)こそ、声に張りがあって、ご健康そうですね。よかったです。」「1日おきに
 ケアホームに通っているんだけど、何とかやっているわ。送ってくれた記事、読んだわ
 よ。」「エッ、あんな小さな字を読めるんですか。」「毎日、新聞は隅々まで読んでいるの
 よ。」
  さすが先生だった人である。65年前、短大を出てすぐ入職し、いきなり4年だった
 我々の担任になった。10歳くらいしか違わない。昭和30年はまだ先生の絶対数が不
 足していたのだろう。「先生は信州の岡谷の出身でしたよね。」「なんでそんなことを覚え
 ているの?」話しながら、はるか昔の記憶が次々と蘇る。とりわけ日本国憲法のすばら
 しさを語り、イタリアの『クオレ物語』を読んでくれたことは不思議なほど鮮明である。
  2008年であるが、鴎友学園が創立70/75周年の記念行事として、連続シンポジ
 ウムを開催した。講演者の一人が朝日新聞の記者の佐田智子さんだった。佐田さんは小
 学校時代の記憶としてこんな話をした。「ある日先生が、黒板に大きく『主権在民』と書
 いて、他のことは忘れてもいいから、これだけは覚えておきなさい。」と話したそうであ
 る。後で調べたら、佐田さんは私と同年であった。
  当時の先生は「自分たちが民主国家・日本の担い手を育てるんだ」という気概に燃え
 ていて、我々世代にはそれがしっかりとしみついている。

「ビジョナリー」2022年7月号掲載     |もくじ前に戻る次に進む

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