教育天声人語
タイトルこそ広報の腕の見せ所


  近年、新聞のスポーツ面で文学作品をもじった見出しを見かけなくなった。以前は「西
 武戦線異常なし(レマルク著『西部戦線異状なし』)」とか「鷹は舞い降りた(ジャック・
 ヒギンス著『鷲は舞い降りた』)とか、ここからとったなと思うものが時々あった。
 整理部で見出しを付ける担当者が翻訳ものを読まなくなった年代になっていることが
 いちばん大きいだろうが、原題そのものをタイトルにし、邦題を付けなくなっている出
 版社の姿勢もあるかもしれない。
  邦題といえば、ヘミングウェイの小説は「武器よさらば」「日はまた昇る」「誰がため
 に鐘は鳴る」等タイトルが魅力的なものが多い。私が読んでいた時代はヘミングウェイ
 の翻訳はほとんどが大久保康雄だった。ヘミングウェイ以外でも「風と共に去りぬ」「怒
 りの葡萄」など、いかにも大久保テイストのタイトルが付けられている。
  高校時代はよく映画を観ていたが、今のように原題がそそのままカタカナになること
 はなく、邦題が付けられていた。題名で観に行っていたようなところがあり、「処女の
 泉」「アパートの鍵貸します」などは、内容もわからないままわざわざ遠くの映画館に
 足を運んだ。心臓をパクパクさせながら重いドアを開け暗い世界にそっと入った。
  前者はスウェーデンのベルイマン監督の作品。難解で何一つ覚えていない。後者はビ
 リー・ワイルダー監督のコメディー。期待するようなシ−ンはなかった。
  タイトルはこれほど影響する(自分だけか?)。今年は無理でも、来年は来場型のイ
 ベントには工夫を凝らしたタイトルを付けてはどうだろうか。アカデミック、アクティ
 ブ、ほのぼの・・・・・・タイトルによって来る層が変わるような気がする。

「ビジョナリー」2021年10月号掲載     |もくじ前に戻る次に進む

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