教育天声人語
一作品から線が伸びる


  GWの1日、県立神奈川近代文学館で開かれていた「特別展 巨星・松本清張」を覗きに行った。
 松本清張が芥川賞作家であること、その受賞作が「或る『小倉日記』伝」であることは案外知られて
 いない。
  清張の初期の短編集を集めた文庫が「或る『小倉日記』伝」を書名として刊行されている(新潮文
 庫・角川文庫ほか)。「或る『小倉日記』伝」の主人公も実在の人物がモデルであるが、このほかの作
 品も実在の人物を扱っている。12の短編のうち、私が特に惹かれたのが「断碑」と「石の骨」。いず
 れも森本六爾、直良信夫という在野の考古学者を扱っている。直良信夫は明石原人の発見者である
 から、ご存知の方もいらっしゃるかもしれない。
  執念のごとく研究対象にのめりこむが、学歴がないために学会から相手にされない悔しさ、怒り
 ……そうした暗い情熱がエネルギーとなってごく短い作品の中に渦巻いている。
  60年安保での喪失感から、まったく勉強が手につかなくなっていた高校時代、これらの主人公の
 生きざまが妙に心にしっくり入ってきたものである。これがきっかけでその後、清張作品の主人公
 の自著に手を伸ばすようになった。学生社という出版社から刊行されていた考古学シリーズ(といっ
 ても学術書ではなく、半分人生を語っているような読み物で読みやすかった)で、数多く読んだも
 のである。「旧石器の狩人」「銅鐸」「古道」「かもしかみち」……等は今も書棚の奥の方に並んでいる。
  大学4年のとき、就職活動で最初に足を運んだのがこの学生社だった。「うちあたりの規模の出版
 社は、10年に1人採用するかどうかです。採用予定は全くありません」……・履歴書を検討されもし
 ない門前払いだったことが、昨日のことのようによみがえる。
  私の場合、「或る『小倉日記』伝」から線がつながったことを思うと、生徒さんにもぜひいろんな
 活字の世界に埋もれていただきたい。

「ビジョナリー」2019年6月号掲載     |もくじ前に戻る

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