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捜し物があり、長いこと開けていなかった自宅の書庫の引き出しを引き抜いた。思いがけない
ものが出てきた。30年前の原稿である。当時中学生向けの雑誌を担当していて、『先輩の母校訪問』
という記事を連載していた。母校を訪ね、当時の思い出を語ってもらうものだ。中学生が知って
いる人ということで、人選はどうしてもアナウンサーなどテレビで活躍している人になった。多く
は同行したライターが書いたが、中には自分で書いた人がいた。原稿はその人たちのものである。
阿川佐和子(東洋英和女学院)、南美希子(東京女学館)、テレビ朝日アナウンサーの雪野智世(聖
ヨゼフ学園)。南さんは既にエッセイストとしても活躍されていたが、阿川さんはまだ1冊も本
は出されていなかった。他の人は手書きの原稿だったが、阿川さんだけは和文タイプで打った原
稿。いま読み返してみると、軽妙なタッチで、毎朝六本木駅から学校までダッシュした様子を書
いており、すでに素人の文章の域を越えていた。雪野さんの文章は上手ではないが、溢れんばか
りの母校愛に満ちていた。
原稿がなくても思い出した人がいる。劇作家の如月小春(成蹊)、女優の高瀬春奈(フェリス女
学院)、フルート奏者の山形由美(立教女学院)。高瀬さんとは学校訪問後、山手十番館で食事を
した。山形さんは立教女学院のクラシックな校舎でフルートを構えると、絵になった。如月さん
はいま振り返れば30代だったはずなのに、かもし出す知的な雰囲気と落ち着いた風格は際立って
いた。組織の一員ではなく、若くして独立して自分の劇団を持っているだけのことはあった。
当時はこうして数多くの学校を訪れていても、教育の仕事をしようとはつゆほども考えていな
かった。が、出版社を途中で辞め、こうした仕事をしていると、「点はいつか線になる」ものであ
ると、つくづく思う
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