教育天声人語
本ごとに読むにふさわしい場所がある

  10月15日、朝井リョウ原作の映画『何者』が公開された。『超高速!参勤交代 リターンズ』を観
 に行ったときに予告編が流され、映画化を知った。実はそのずいぶん前に原作を読んでいた。『何
 者』の主人公は、就職活動を始めた5人の大学生。5人のツイッターへの書き込みが重要な役割を
 果たすリアルな就活ストーリーである。
  映画化ということで久しぶりに書棚から引っ張り出してみたら、1か所だけ折れ目が付いてい
  た。ひとりの女子学生の語りだ。
 「今までは一緒に暮らす家族がいて、同じ学校に進む友達がいて、学校には先生がいて。常に、
 自分以外に、自分の人生を一緒に考えてくれる人がいた。学校を卒業するって言っても、家族や
 先生がその先を一緒に考えてくれた。いつだって、自分とまったく同じ高さ、角度で、この先の
 人生を考えてくれる人がいたよね。」
  仕事柄こんな箇所が引っかかったのだろう。
  同時にこの本を読んでいた場所を思い出した。大戸屋の店の中央にある大きな四角いカウン
 ター席。1人客の多くはここに座る。昼の混雑が過ぎた時間、やはり1人客の若い男女に交じって
 ここに座る。注文してから料理が届く前、食べ終わってしばらくの間、少しずつ読み進めたもの
 だった。私の年代ではまず読まない作品でも、登場人物と近い年代のいるこうした空間では不思
 議と年齢を感じずにスーッと読めたものである。
  これが、同じ朝井リョウの作品でも、児童養護施設「青葉おひさまの家」で暮らす4人の小学生
 と高校生の佐緒里が主人公の『世界地図の下書き』はここでは読めなかった。
  本を読むにも、その本にふさわしい場所ってあるものなんだなと感じる。と同時に、自分の周
 りの人が読まないであろう本を敢えて手にすることをお勧めしたい。

「ビジョナリー」2016年11月号掲載     |もくじ前に戻る次に進む

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