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高倉健が亡くなった。ふつう私の年代だと、「日本侠客伝」「網走番外地」シリーズにはまって
いたものである。が、私はこの時期の高倉健の映画は全く観ていない。新宿駅東口の昭和館は
いつもこのシリーズを上映していたが、前を通りかかっても一度も足を踏み入れたことはな
かった。私が高倉健の映画を観始めたのは「八甲田山」以降だ。「駅 STATION」「南極物語」
「あ・うん」「鉄道員」……今振り返ってみると、代表作は結構観ている。なかでも「駅 STATION」
「鉄道員」のいくつかのシーンは、30 年、15 年経った今でも映像が目に浮かぶ。大晦日の夜、雪
に埋もれた増毛の駅前のうらぶれた居酒屋で、倍賞千恵子と酒を酌み交わす。壁の上に小さな
白黒のテレビがあり、そこからは八代亜紀の「舟唄」が流れている。だから高倉健というと、私
にとっては「北海道」と「雪」である。それに「ジャンパー姿」。最後の作品、 「あなたへ」もジャ
ンパー姿だった。
が、映画以上に惹かれるのは、人柄である。今朝の新聞にも、こんな文章が載っていた。「実
は制服、制帽は好きじゃない。(刑務所に)入っている方に気持ちが行く」。以前にも書いたこ
とだが、彼のエッセイにこんな一節がある。沖縄県石垣島で、ある小・中学校の合同運動会に
出くわした。そのとき運動会では、おじいさん・おばあさんが藁から縄をなうことを競う種目
をやっていた。それを見ていた高倉さんは、いつの間にか一生懸命手を叩いていたそうである。
そのときのことをつづったものだ。
「ぼくの仕事は俳優だから、よくひとから拍手される。でも、拍手されるより、拍手するほう
が、ずっと心がゆたかになる」(「南極のペンギン」集英社)
先生という仕事は、本来は「拍手する」仕事ではないだろうか。生徒にどれだけ「拍手」でき
たか、そこに先生という仕事の充実があるように思う。
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