教育天声人語
「人生観の戦い」

  例年、夏は教職員研修に声をかけていただくことが多い。この夏も、神奈川私立中高協会の「理
 事長・校長研修」をはじめ4校から依頼された。具体的に演題が決められていることもあるが、
 多くは任される。そこで、学校ごとにどんな話をしようかと考える。
  目下の社会の状況、最近の保護者の意識等は比較的どこにも共通することであるが、学校ご
 とに抱えている課題は異なるし、たとえ似たような課題であっても、生徒の学力レベル、教員
 の力量が違えば、例に引く他校が違ってき、話す内容も異なってくる。
  そうしたことで、この夏は「学校のあり方」が頭の中を占めていたこともあるが、学校改革が
 「コース」の新設・改編に偏っているのではないか、各学校は「入試要項の戦い」をしているので
 はないか、そんなことがとても気になった。
  教職員研修を依頼された学校の中には、これらとか、「大学合格実績の戦い」といった土俵に
 乗ることがおよそ相応しくないと(私自身は)考える学校があった。
  どうしたらいいのだろう。上の3つなら具体的なこともアドバイスしやすい。が、それらが相
 応しくないと考える学校なら、何を話せばいいのだろう……大いに悩んでしまった。
  いま保護者は、「グローバル社会は競争社会で、わが子にはその中で勝ち抜いていってもらわ
 なければならない」という強迫観念にとらわれている。そして多くの学校は、その潜在心理に合
 わせて、意識的にも無意識的にも「勝者」になるための教育をしている。
  そうであるならば、この学校は「そんな強迫観念にとらわれなくてもいいのですよ。そもそも
 社会というものは、いろんな個性と能力の人がいて共生・共存しているものなのですから。競
 う力より協力し合える力のほうがよほど有効です」という人生観を打ちだしてはどうなのか、そ
 うしたことに思い至った。
  「人生観の戦い」―それこそが私学本来の戦いではないだろうか。

「ビジョナリー」2014年10月号掲載     |もくじ前に戻る|次に進む

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