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私学は、これまではどちらかというと「純化」へのベクトルが働いてきたのではなかったか。高
校での募集を止める、中学での募集も止め小学校からしかとらない。学校法人のこうした決断は、
「純化」の最たるものだ。教員も卒業生を優先的に採用する、入学においても卒業生の子弟を優遇
する、といったことも「純化」のベクトルと言えるだろう。
私(安田)自身も、「○○学園の独自性、教育方針を強く打ちだし、それに共感するご家庭に支
持されることを考えたほうがいいですよ」といったことをお話ししてきた。
が、こと教員・生徒といった人材について言えば、これからはできるだけ多様なほうがいいの
ではないか。ある男子校の校長と話していたときに、「これからは学部卒・大学院卒をストレート
に採用するのではなく、さまざまな社会経験を経てきた人を採用していきたい」ということを言
われた。そのほうが、「おもしろい授業が展開できる」というのが、理由である。
思うに、これは授業だけの話ではない。会議ひとつとっても、同質の文化の中で育った人間同
士よりも異なる背景を持った人間がいたほうが、発想が豊かになり、自分とまるで違うタイプの
人間とも否応なく議論せざるをえなくなるという体験もする。誰も疑わなかった、その学校の“常
識”に疑問が呈されるようなことも起こるだろう。いろんなことを決定するのに時間がかかるよ
うにもなるだろう。が、いま、そうした活性化を図らない私学は危ういのではないか。
教育方針、具体的取組においてはその学校らしい特色〈純化〉を目指してほしいが、人材面では、
教員も生徒も<混在>を実現したほうがいいと思う。生徒にも、いろんなタイプと付き合う経験
をさせておくことが、これからの社会に巣立つ生徒への最高のプレゼントになると思う。
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