教育天声人語
「担任持ち上がり制」は生徒にとって……

  ある学校から学校改革について意見を求められた。建学の精神を基にしっかりとした構想が練
 られていた。質問されたことの1 つに、「担任持ち上がり制」があった。その場では、
  ・「持ち上がり」にしていても、全員ではなく、毎年1人ないし2人は入れ替える
  ・学年団で、まとまりがあって優秀な学年とそうでない学年とが生まれるケースがある
  ・学級担任を設けず「学年共同担任制」をとっているケースもある
  ・学年で、その教科を自分しか教えないケースでは、センター試験・大学入試でもろ結果が見
   えるので、教師の刺激になり、いい授業につながることになる
  といったことを答えた。
  その後しばらくして、生徒にとってはどうなのかという観点で考えてみた。
  ・「持ち上がり」の場合は当然、生徒も教師もお互いを深くわかるようになる。できる子にとっ
   ては望ましい環境だろう。が、できない子にとっては自分のイメージが最後まで付きまとう
   ので、心機一転奮起してやろうという機会が生まれない
  ・よくわかっているので、的確な学習指導、進路指導、生活指導が可能になるが、つい細かな
   ことまでアドバイスしがちになる→生徒が自分自身で判断して行動する自主性が育ちにくい
 「担任持ち上がり制」と真逆のことを行っている中高一貫校がある。そこでは高校の先生は中
 学では一切教えない(中学の先生も同じ)。高校の先生は中学時代の自分を全く知らないから、中
 学時代にパッとしなかった子が高校では心機一転頑張ることがある。
  ある都立高校の教師がこんなことを言っている。「同じ高学力層の生徒でも、中高一貫校のほ
 うが進学重点校より子どもっぽいのは、教師が面倒を見過ぎているからではないか。」
  確かに1 学年160 名6 年間と1 学年316 名3 年間では生徒と教師の関係は大きく異なるだろう。
 生徒を大人にするという点では「持ち上がらない」ほうがいいのかもしれない。

「ビジョナリー」2014年2・3月号掲載     |もくじ前に戻る次に進む

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