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ある会合で、男子校の校長がつぶやいた。「このところどんどん『共学化』が進んで困っている」
その学校は毎年大勢の受験生がいるので、意味が分からず、「なぜ共学化を検討する必要があ
るのですか?」と聴いた。すると、「その共学化ではなく、親が乗りだしてきて親子が一体化して
いることに困っている」という話だった。
そばで私たちのやり取りを聴いていた別の男子校の校長が切り出した。
「校外学習の折に、少しでも自立させようと、葛西臨海公園で現地解散にして自分で家に帰る
ように計画した。ところが、母親たちが迎えに来ていて、外で一緒に食事をして帰るという親子
が続出してしまった」。学校が「自立させなければ」と考えているのに、母親たちは得てしてそれ
と真逆の行動をとってしまいがちだというのである。
大学通信の安田賢治さんの近刊『笑うに笑えない 大学の惨状』(祥伝社新書)にもこんなエ
ピソードが載っている。「入学願書は今や母親が書いてくるのがふつう。オープンキャンパスにも
親子で来る。高校生と保護者とでは知りたいことが違うだろうからと、大学側が別々のルートを
用意しても、一緒に回りたがって、そうした配慮は通じない」。
大学受験の年齢になっても、親がこれほど関与しているのだ。小学生のころから、「やってあ
げること」を愛情と勘違いして、口を出し、手を出して育ててきた結果が、この高校生のような
親子関係になってしまっている。
いま多くの学校で、保護者が学校の行事などに関与している。そのことが、子どもを大人にし
ない「共学化」につながらないよう、一線を画しておく必要があるのではないだろうか。
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