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結構親しい先生から「辞表を出しました!」というメールが届いた。以前から、「辞めたい」と
いう話は聴いていたが、「転職先が決まるまでは自重したほうがいいよ」と話していた。広報を担
当していて、合同説明会などで、自分の学校を勧めることが本当にこの受験生の幸せにつながる
のか自信が持てず、悩んでいた。それはキツイと思う。
自分が身を置く学校が、本当に受験生の成長につながり、その未来を拓くと思えなければ、マ
ニュアルどおりには語れても、心に届く喋りはできないだろう。いや、それ以上に、自己嫌悪に
駆られるのではないか。
学校の「差」はどこにあるのか。最近特に感じていることは、「学校の差は、つまるところ教員
の力量の差」だということだ。今年、授業を見学して記事を書くという仕事が何件かあり、真剣
に授業を聴いた。そのいずれもが教科書通りの授業ではなく、オリジナルな材料がふんだんに用
意され、展開の仕方も入念に構想されていることがよくわかる授業だった。生徒もそうだろうが、
私自身がおもしろかった。教師の力量に感心した。
2つ目は、生徒が主体的に学んでいるか受け身かと全く同じように、先生も上からの指示通り
仕事をこなしている学校か、自分からあれこれ工夫する土壌のある学校かという「差」を感じる。
3つ目は、先の話につながるが、先生が自分の学校を好きかどうか、これも大きいと思う。トッ
プを信頼でき、学校のあり方に共感できている学校、生徒だけでなく先生のことも大切にしてい
る学校は、先生が学校を好きになれる。が、トップを信頼できず、学校のあり方にも共感できず、 だが生活があるから働いている場合はなかなか好きにはなれない。
こうして挙げてくると、一つの言葉が浮かんでくる。「誇らしい」学校をつくることが、ここに
挙げたことをクリアする条件ではないだろうか。
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