教育天声人語
良かった受験、悪かった受験

  今月の上旬、中学受験の入り口にいる小学校3、4年生の保護者向けに話をする機会があった。
 レジメを作りながら、いちばん伝えたいことは何かと考えた。長いこと受験にかかわる仕事をし
 ていると、また受験した子(家庭)のその後を長いスパンで見ていると、良かった受験、悪かった
 受験というものがやはりある。
  それは結果が、受かったからよかった、受からなかったから悪かったというものではない。
 「結果」ではなく、受験の「仕方」が大きいように思う。「合格させるにはどうするか」「どこの中
 学に入れるか」ということばかりで突っ走った受験は、得てしてその後がうまくいっていない。
 受験生活の中で、また学校選びのときに、「わが子を一人前の社会人にするにはどうしたらいい
 か」「わが子にはどのような人生が合っているのだろうか」……そうしたことを考えながら受験し
 た家庭は、結果に関係なく、子どもが自立した大人になっているように感じる。
  最近、お受験して、ある私立小学校に子どもを入れた親と知り合った。入った途端、中学は
 どこに進ませようかと考えている。その人にとっては「どこに所属するか」が人生なのだ。が、
 この親ばかりではない。いま多くの親が、そして就活に励む大学生が、人生の最大の課題が
 「どこに所属するか」になっている。
  組織に所属することに汲々となる前に、「わが子にどのように生きてほしいのか」「自分は本当
 は何をしたいのか」、それを考えることが必要で、大事なことのように思う。むしろそうしたこ
 とを考えながら生きてきた人間の方が組織にも歓迎されると思うのだ。
  講演の最後に、夏目漱石の言葉を使った。。
  「価値を他人に頼るな、自分で決めよ」

「ビジョナリー」2010年12月号掲載     |もくじ前に戻る次に進む

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