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学校説明会に足を運ぶと、「キャリア教育」に関しての取り組みを熱心に語る学校が多くなっ
ている。それは、保護者側が、「大卒の就職難」、「就職しても3年で退社」といった報道を頻繁
に目にし、わが子の将来に強い不安を感じて、単に難関大学に入れてほしいという一昔前の『受
験ママ』から一歩進んで、わが子が将来仕事に就いてちゃんと生きていけるようにしてほしいと、
「願望」の質が変わってきたことと重なっている。そうした意味では、「キャリア教育」は社会の、
時代の要請なのだろう。
が、これは、同時に学校の変質をもたらすものでもあるように思う。大学に入れるまでだっ
たら、従来の学校のノウハウ、内部教員のスキルで可能であった。が、企業社会でちゃんとやっ
ていける能力・資質となると、最近とみに熱心に参画するようになった父親やキャリアウーマ
ンの方が得意な分野である。アマチュアの専業主婦相手にこちらの得意分野で勝負できた時代
とは勝手が違う。最近、一部の学校で外部のリソースを活用する動きが活発になっているが、
こう考えればこれも必然のように思う。
では、学校としての、先生が行う「キャリア教育」の意味はどこにあるのだろうか。単に企業
人として優秀な人間を育てるということであれば、企業内教育の代替でしかない。いまのわが
国の閉塞状況が、「社益」、「省益」といった次元でしかものを考えられない、行動しない大人が
生み出しているならば、「社会全体にとってどうなのか」、「我が国の将来にとってどうなのか」
……といった複眼的視点を持てるようにすること、大勢に身をゆだねて楽をしようとするので
はなく、独立した「個」として自分の頭で考えられるようにすること、そうしたことが、学校と
しての「キャリア教育」に大切な要素なのではないだろうか。
ご自分の学校で「キャリア教育」を行うことの意味を、改めて考えていただきたいと思う。
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