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今年、東京の私学だけでも39名の校長が交代した。私の知る限りではあるが、後任の校長の
履歴が驚くほど多様になっている。以前なら、「生え抜き」「公立からの転任」「母体となる宗派」
が3大供給源であったが、これが実に様々になっている。「民間企業(それも在外勤務経験者が
多い)」「マスコミ」「併設大学の教授」「他の私学からの転任」「予備校」「自治体の首長」・・・こう挙げ
ていくと、教育畑以外からの就任がものすごく増えていることがわかる。これまでも創立者の
一族が民間企業勤務を経て教員→校長となるケースはたくさんあったが、それとは趣が異なっ
ている。
つまり、理事長・理事会は、これまで重視されてきた「生徒への深い理解・愛情」「教育者とし
ての人格」といったものよりも、「マネジメント能力」「強力なリーダーシップ」といった経営感覚
を校長に求めるようになっているのである。これは「収容」という言葉に象徴されるような、待
ちの姿勢で済んでいた学校が、市場競争にさらされるようになったという現実を反映している。
こうした観点で見てみると、学校ほど、利用者に己の姿をさらされている存在はない。企業
の商品を購入する利用者にしても、その企業の経営的な数値はほとんど目にしていない。とこ
ろが学校は、「偏差値」「大学合格者数」といったかたちで根幹部分を四六時中衆目にさらされて
いる。それだけ外を意識した経営的な要素が強まっているのである。
校長として期待される能力、社会の状況の変化は、学校内部にも当然影響してくる。が、学
校は品質が一定の商品を製造・販売しているわけではない。一人一人違う、しかも生身の存在
を相手にしているのである。優良企業の経営者が現場をきちんと見ているように、教育畑以外
の出身校長にも、校長室でパソコン上の数字を追いかけるのではなく、「すべては現場(生徒)に
ある」の精神で職を担っていただきたい。それが、信頼される学校につながるはずである。
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