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この正月、何人もの人と会った。年賀状をきっかけに数年ぶりという学生時代の友人もいれば、
企業時代の同僚も、学校の先生も、塾の先生も、マスコミ関係もいる。そうした人たちとの会話
の中で浮き彫りになってくるこのところの父親像。
お受験前に子どもを母校である開成を見せに連れて行った父親、小3の子の勉強意欲を高める
ために東大の本郷キャンパスをともに歩いた父親、飛行機を使ってでもいいから日本一の家庭教
師を探してきてくれと依頼してきた父親……。なんでそれほどまでにわが子の教育にのめりこむ
のか? 焦るのか?
そんな日々の中で、内田樹の『街場の教育論』(ミシマ社刊)の中に、「50年代、60年代の教室で
は『学級崩壊』などまず見ることがありませんでした。子どもたちはおおかたまじめに授業を聴い
ていました。学力も運動能力もコミュニケーション能力も、どれも今の同学齢の子どもたちより
も、当時の子どもたちの方が総じて高かったように思います。当時の学校生活を覚えている方は、
おおかたがこの判断に同意されるでしょう」という一節を目にした。
今、鴎友学園は、「女子校の未来を拓く」という女子教育連続講演会を開いている。毎回参加
しているが、その3回目の講演者は.友の卒業生で、朝日新聞の記者である佐田智子さんだった。
話を聴くと、私とまったく同年代で、彼女の話す小学校時代の教室の光景はまさに私自身がいた
教室の姿だった。そして彼女は言う。「私たちの時代の.友では、時間がゆっくりと流れていた。
退屈で死にそうだと思うくらいに。『自分の時間』がたっぷりとあった。そこで、それぞれが、自
分に合うもの、興味がひかれるものを、自分で、自力で見つけていったように思う。……そのこ
ろは、人間にとってとても大切な時間。その時期をどう大切に扱うか」
「焦りは子どもを成熟させない」─このことをより一層保護者に伝えたいと思った正月だった。
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