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書店の文庫売り場にいたら、後ろで、若い女の子の声がした。「あっ『蟹工船』だ」、「○○が、
これ読んだって、言ってた」。振り向いたら、『蟹工船』とは正反対なイメージの派手な格好の
女2人組だった。
そんなことがあって、昨年都下の公立中学校で保護者向けに、「お子さんの『未来予想図』は
何ですか?」と、当時流行っていたドリカムの歌のタイトルを借用した講演をしたことを思い
出した。その中で、「私の歳になると、小学校のクラス会の話題は『子どもが会社を辞めてしまっ
たこと、結婚しないこと、いつまでも家を出て行かないこと』が3大テーマです」といった話
をした。若者の「非婚」の実情については、「若者の間には一部の『フルジョアジー』と大多数
の『フラレタリアート』という冷酷な現実があり……」と、米原万理さんの造語を使って話した。
私としてはここで笑いを取るつもりだった。ところが会場は全くの無反応。私は予定が狂って
まったく乗れず、不出来な講演となってしまった。
「ブルジョアジー」「プロレタリアート」が聞き手にも共有されていてはじめて笑いの交歓が
できたものが、その前提が崩れていたのが原因であった。私の世代だったら日常的に口にして
いた「ブルジョアジー」「プロレタリアート」が、40 代のお母さん方にとってはピンと来ない言
葉であることを、まったくもって想像していなかった私のミスである。
だがこの言葉、『フルジョアジー』と『フラレタリアート』の方であるが、この言葉は、今の
格差社会のさまざまな局面を斬るのに甚だ都合がいいことがわかった。
たとえば、入試状況ひとつとっても、受験生を『フルジョアジー』の学校と、受験生から『フ
ラレタリアート』の学校が存在するのである。我々の時代にはこの他、『プチブル』なんて用語
も盛んに使われた。
「受験戦争は学校間の階級闘争」──かつてなんでも階級闘争に結びつけた時代がありました。
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