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出版社時代、電通のCM研究会に所属していた。話題のTVCFを制作したクリエイティブディ
レクターの話が才気に溢れていて面白く、業務の関係でどうしようもないとき以外は極力出席し、
ていた。そんな縁で、いまでも『電通報』(電通発行の広告業界紙)が届く。
先日の「広告人語」(『電通報』における「天声人語」に当たる欄)に、こんなことが書かれて
いた。この欄の筆者にはこの春小学校に入学した娘がいる。筆者は、「何のために勉強するの?」
という質問をされたら、どう答えようか、ありきたりの模範解答ではなく、筆者なりに自分の腹
に落ちる答えをしようと準備していた。が、娘からの質問は、「ハンニャシンギョウって、けっきょ
く何を言ってるの?」
私はこのエピソードを読んだとき、真っ先に思ったことは、この子はいったいどのような育て、
られ方をしたのだろうか、ということだった。この家はリビングに普通に『般若心経』がある家
なのか、両親が日常生活でもとんでもなく知的な会話をしているのか、あるいは単に最近祖父母
の13回忌などで、お寺でお坊さんが『般若心経』を唱えるのを聴いたばかりなのか……。
そんないろんな想像をめぐらせたのだが、そのいずれにしても、「けっきょく何を言ってるの?」
と発する小学1年生には驚嘆する。お受験に必要だから教えているのではない、普段の日常の積
み重ねの中で、こうした「教養」が蓄積され、こうした「なぜ?」が生まれるているのだ。うら
やましい子育てではないだろうか。
学校でも塾でも、授業時間ではない日常の時間の中に、こうした「教養」が蓄積される土壌が
作れないものだろうか。先生が自分の経験したこと、見聞したこと、読んだ本などについて語る
時間。そうした時間があることが「教養」につながるのだと思う。時間のある夏期講習期間中や
勉強合宿のときこそが絶好の機会と思うのだが……。
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