|
今回の大震災で、自宅でも書棚の上に積んでいた本・雑誌が崩れ落ち、床に散乱した。家人に、
これを機に少し整理してくれないかと言われ、何十年ものぞいていなかった書棚の中にも目を向
けた。最上段の新書の棚に、岩波新書、中公新書の次に「クセジュ文庫」が並んでいた。懐かしい。
私の高校・大学時代には、そこそこの書店にはみなこの「クセジュ文庫」の棚があったような気が
する。フランス大学出版局が刊行していたシリーズを、白水社が日本語に翻訳したものだ。
並んでいた書名を眺めていて愕然とした。「フランスの大学」「低開発国」「東南アジアの地理」「イ
ンド史」……この辺はわかる。が、だんだん右へ行くと、「黒アフリカの宗教」「仮面の民族学」とな
り、「クセジュ文庫」の一番右端はなんと「呪術」「妖術」であった。
サークルの中に、文化人類学好きな仲間がいて、その連中とこんな本を読んでいたのである。
今にして思うと、よくもこんな変なもの、役立ちから遠く離れたもの、自分の将来にも全くつな
がらないものを読んでいたものだ。現在の感覚からすると、貴重な時間をただただ無為無策に使っ
ていたとしか思えない。
いま学校は、実社会を先取りしたプログラムをいろいろ実践している。保護者もまた、社会に
出てから活躍できるようなスキル、リテラシーを育ててくれる学校を選ぶ傾向が年々強くなって
いる。わが子が将来巣立っていく社会があまりにも不透明で厳しそうだから、そうした心理にな
ることもわかる。
が、役に立たない、利益にもならない、実用的でない……実社会から遠く離れた、観念的なこ
とに時間を使えることこそ、学生時代の特権であるように思う。
実は私も、これらの本が自分にプラスになったとは思っていないが、「無駄な時間を潤沢に過ご
した」ということが、なんとなく自信につながっているような気はするのである。
|