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最近お会いした先生から、こんな話を聞いた。ある私学に採用され、塾回りを担当していた
時代のことである。塾に電話すると、学校名を名乗ったとたん、「来なくていい」と断わられる
ことばかり。やっとのこと、人の紹介で訪問できる塾が1つ見つかった。喜び勇んで出かけ、
一生懸命説明した。帰りがけ、恐る恐る「教室の片隅にでも、ポスターを貼らせていただけな
いでしょうか」と申し出た。塾の先生が答えた。「そんなことされては困る。お宅のポスターを
貼ったら、入塾生がいなくなる」
別の先生からはこんなことを聞いた。「いまうちの先生たちは喜んで塾回りに出かけていま
す」「えっ、ホントですか? どうしてですか?」「だって、以前は塾回りしても、話を聞いてく
れないどころか、ロクに相手にしてもらえなかったんです。それがいまは、先方が自分の学校
に関心を持って、質問してくれるのですから・・・・・・」
学校によって、同じ学校でも時代によって、先生の苦労はまるで違う。もちろん一度もこう
した「屈辱」を経験せずに職を終えられる先生のほうが圧倒的に多数派だろう。が、同じ仕事仲
間に、こうした苦労をしている先生がいることも知っていただきたい。
それと同時に、個人的には、塾回りをしなくてもいい状況にならないかとも思っている。塾
回りで大切なことは、何より説明する中身ではないのか。中身がなく、ただ顔を出して人間関
係を作るという発想は、一時代前のやり方ではないのか。このやり方では、手を抜けばすぐ元
に戻ることはどこの学校もが経験済みのはずだ。また往々にして、担当者をいつまでも替えら
れないことにつながる。仮に塾回りを続けるにしても、学校側も塾側もより有効なものにしよ
うという意識を持っていただきたい。
この世界は、「足の勝負」ではなく、学校の中身を充実させる「頭の勝負」であってほしい。
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