教育天声人語
「二兎を追う」学校が評価される?

 「大学を出ても、漢字が読めない。選挙に行かない。箸は使えないし、他人の金と自分の金の
 区別さえつけられない。オトナになったって、パパとママが車もかばんも買ってくれる。見た
 目はバッチリだけど、ゴミと暮らす毎日。
  ニッポン人なのに、国語辞典に無い言葉しか使わないし、『超暑くない?』『超寒くない?』が
 季節の挨拶で、知っている行事は、クリスマスとバレンタインとバースデー。
  いつでもかったるくて、使い捨てがモットー。一生懸命はウザくて、道路がゴミ箱、電車は
 化粧室。ケータイとコンビニが無い所に行くと、途端にパニックになって、なんでもみんなと
 同じじゃないといじめられる。」
  これ、いまどきの若者を表現した文だと思わないだろうか。自分でもビックリしたのだが、
 知人が類書を出したことで、出版社時代の終わりころ(8年ほど前)に出した本(『それでもあなた
  ニッポン人?』)を引っ張り出してみたら、前書きにこんな文章があった。
  つまり、8年も前からこんな状態だったわけである。当時の若者は当然いまはアラサーティー、
 アラフォー。ますます親がわが子をしつけられない時代になる。やむをえないことだが、学校
 がその役割を担うしかないのがこれからの時代なのではないだろうか。
  以前読んだ本に、「人間関係は作法をわきまえること、感度のよさが大切」とあったが、社会
 との関係でも「作法」「感度」が崩壊・鈍化しているから、ゴミ箱、化粧室、語彙欠如になるのだ
 と思う。
 「さくほう」の人に「さほう」を説くのは至難の業であるが、2010年からは学校には、学力養成
 とともに「二兎を追って」いただきたい。これからはこの点でも優れた学校が間違いなく評価さ
 れるように思うのだが・・・・・・。

「ビジョナリー」2010年1月号掲載     |もくじ前に戻る次に進む

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     「ビジョナリー」2011年1月号