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少し前になるが、ある先生が、立川志の輔原作の映画「歓喜の歌」の試写会に誘ってくれた。
町の文化会館の主任が、大晦日の会場をダブルブッキングしてしまう話である。「みたま町コーラ
スガールズ」と「みたまレディースコーラス」。セレブな本格派のレディースが「うちの合唱団にとっ
て明日は創立20周年の記念コンサート。今さら変更なんてありえません」と言えば、結成間もな
い庶民派のガールズも「うちだって明日を楽しみに、家事やパートの都合を何とか合わせながら
がんばってきたんです」と、譲らない。ひたすら自分たちの「正当性」を主張する両グループの
間に立って、主任は右往左往するばかり。
悲しい性で、映画を見ながら、「そうだよな。いまの教育って、こんな風に自己主張する人間ば
かりつくっているもんな」と途中から頭がそっちの方にいってしまった。
同じころ、ある編集部から、「これから社会に出て必要な能力って何でしょうか」という取材依
頼があった。コミュニケーション能力、論理的思考力、プレゼンテーション能力、行動力……20
くらいの候補となる能力が上げられてきた。
こんなことが重なったので、考えてしまった。「自分が独立してまがりなりにもやっていけてい
るのはなぜだろう?」…自分を客観的に眺めても、何か個々の優れた能力があるわけではない。こ
れまで接した人たちが何気なく口にした言葉を思い起こしてみると、どうやら「能力」というより
はもっとベーシックな「キャラクター」のようなものであるように思う。
映画の例で言えば、「こんなことってよくあるよね」、「それよりお互い様だから、譲り合ってう
まい方法を考えようよ」……主任を責めるのでなく、解決策を提案するキャラクター、そして解決
に向けて行動を起こす力。実社会で本当に必要な能力は、案外そんなものなのではないだろうか。
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