◆まえおき
吉祥の仕事密度は相当に濃い。まず、授業活動の充実のための教材研究・教材開発は誰もが手を抜くことができない。20年以上も続く年2回の授業評価は、へまな授業をやっている教員を直撃する。生徒の眼は純粋で鋭く、彼女らの授業に対する意見や評価を大切にすることでここまでやってきた学校である。
これに加えて自治活動やクラブ活動の充実も追求している。生徒会の配下に合計45の団体があり、ほぼ全ての教員が2〜 3の団体の顧問を兼任し、日曜日も返上で
指導に当たっている教員も少なからずいる。進路指導は中高一貫プログラムの中で、
LHRや放課後を利用して多彩な催しが毎週のように実施されている。担任の面談も
回数が多く、交流スペースや面談室では毎日誰かが個人面談を行っている。
年間行事も多種多様だ。文化祭や運動会、球技大会は、自治活動の一環として行っているため、教員集団が半年以上の月日をかけて、生徒のリーダーシップを育む方向で指導し、彼女らを成功体験へと導く。校外へ出かける行事も、国内・海外と盛
りだくさんである。
「どこの私学でも同じようなものさ」と言われてしまえばそれまでだが、多忙の割には教員の眼は光を失っていない。鬱に陥る者もいないし、顔を合わせれば、お互
いに「忙しいね」とは言うものの、疲れた表情も妙に充実しており、爽やかだ。
「吉祥の生徒さんは元気がいいですね」「精力的な先生方が多いですね」と外部の方や保護者から指摘されることも、手前味噌な話だが、実際によくある。「他校はもっ と頑張っているぞ」と若手に発破をかけなければいけない立場の者としては、これで満足しているわけにはいかないのだが、吉祥がどんな風に元気印の女子校なのか、どこからその活力が生まれてくるのかを冷静に分析してみることも、今後のために意味のあることなのかもしれない。
◆吉祥の沿革と現場のあり方
まずは学校の沿革からお話ししたい。なぜかと言うと、案外と吉祥の沿革に活力の源が隠されているような気がするからだ。
吉祥は来年創立70周年を迎える女子校だ。武蔵野市吉祥寺の閑静な住宅街にキャンパスを構える、1学年平均250名の全生徒数1,558名の完全中高一貫校である。専任教員は74名で、男女の比率はちょうど半々。年齢構成も各世代バランスがとれている。校名は所在地の吉祥寺に由来するが、「寺」の字をとったのは仏教系の学校との誤解を避けるためだ。従って、吉祥は「きちじょう」と読み、外部の方がよく
口にされる「きっしょう」というのは本来誤りである(俗称として通用してはいるが)。
創立者は地理学者の守屋荒美雄氏で、地図帳や教科書出版で知られる帝国書院も同時期に作られた。1938年の開校直前に病没されたので、長男の数学者の守屋美賀雄氏が初代理事長を務められた(美賀雄氏は後に東大教授や上智大学学長も兼任
されている)。吉祥は親子二代の学者の寄付行為によって興された私立学校である。
教員も生徒もとにかく学業に真面目に打ち込む、という吉祥の底流に流れる根本姿
勢はこのあたりに由来するのだろう。美賀雄氏は敬虔なカトリック信者であったが、
自らの信仰と学校の運営は切り離し、一切の宗教を持ち込まなかった。このため吉
祥は当時の女子校では数少ない無宗教の私学として発足し、現在に至っている。ま
た、一族支配を自ら排され、吉祥の運営は現場の校長と教職員の意思に委ねる姿勢
を貫いた。学校を訪れるのも入学式や卒業式に限られたため、現場の校長や教職員
の創意工夫の中で学校作りが進められた。
この現場主義の考え方は今も貫かれている。現在の理事長の海藤満氏は、娘二人を吉祥で卒業させた元祥美会(吉祥の保護者のPTA組織)会長である。経営者と保護者の視点を合わせ持ち、大所高所からの提言は当然あるが、現場の教職員の意
見を吸収することを何よりも尊重されている。
生徒と日々直面している現場の声が学校作りに反映され易い、いわば「風通しの良さ」が、吉祥の教員の活力の背景にあることは間違いないだろう。
◆建学精神と教員の意識
吉祥の建学精神は、「社会に貢献する自立した女性を育成する」「自らの個性を十分に伸ばす」と言うものである。戦後一貫してこうした姿勢を表明してきたから、この面では相当に「筋金入りの学校」である。保護者もこの教育理念に期待して子女を入学させる面が強いし、生徒自身のキャリア志向も相当に高い。
この建学精神を実現するために、先輩諸先生方は時代を先取りした取り組みをい
つも大切にしてきた。1960年代に早くも普通科の中にコース制を置く発想を持ち、
芸術コースや英語コースを発足させて、個性豊かな生徒の育成に努めてきた。また、
自立教育としての性教育がスタートしたのもこの頃である。その後も、環太平洋姉
妹校計画と銘打って、アメリカやオーストラリア、カナダ、中国、韓国の名門中高
校と姉妹校関係を確立したりしてきた。自主自立教育の推進のために、生徒会など
の自治活動を育成し、校則を簡素化して生徒の自律性に委ねるなど、「先取の精神」
がなければできない取り組みもしてきた。新しい発想やアイデアは歓迎し、実現可
能なものはどんどんと取り入れていくフレキシブルな姿勢は今も健在である。
現在の吉祥も、個性豊かな教員が大勢いて、教育に対する考え方もさまざまである。教員採用の際には、あえてそうした人材を登用してきた経緯もある。熱心に受
験指導をする教員がいれば、クラブ指導に打ち込む教員もいる。生徒の話に涙を流
している教員がいれば、規律を守らせるために怖い顔を見せている教員もいる。
しかし、「女性の持つ能力を最大限に育成する」という点で、教職員の意識は一致している。この信念を持って、連帯して日々の教育活動に携われることが、教員
の励みになり、やりがいにもつながっていることは確かだろう。生徒に対する面倒
見がよいことも教員の姿勢に共通している。
また、生徒の母校に対する自己評価を私どもはとても重視している。幸い「吉祥
に入って良かった」と言ってくれる生徒が多く、卒業後も母校への連絡を欠かさな
い卒業生もたくさんいる。このため、進路指導やクラブ指導にOGの協力が得られ
やすい環境にある。生徒の学校評価が高いと、疲れていても教員の体には自然と鞭
が入る。もうひと頑張りしようという意欲と活力につながってくることは確かである。
◆元気印の女子校の富士登山
外部の方が聞くと、へぇ〜と驚かれる吉祥の名物行事をいくつか紹介したい。まずは高校1年が全員参加する林間学校である。女子校の林間学校と言うと、高原のリゾート地で行われ、散策や軽いハイキング、キャンプファイヤーなどで楽しむ姿をイメージされる方が多いと思われるが、吉祥の場合は富士登山である。3,776メートル の最高峰に、女子校のチームが高山病と戦いながら、埃まみれ、汗まみれになって行進していく。これを1961年から実施しており、今夏で47年目となる伝統行事になっている。これまで登頂した生徒の数は優に1万人を越えており、1つの学校でこれだけの記録をもつところは他になく、ギネスブックものであることは間違いない。
引率する教員は、登山歴10回、20回の強者でも極度に緊張する。絶対に事故を
起こすことなく、生徒を連れ帰らなければならないからだ(幸い今日まで1回の事
故もない)。以前は教員採用の校長面談の際に、「山は登れるか」という質問項目が
必ず入っていた(嘘を言って採用された者は、あとで大変な苦労をすることになっ
た)。4月に引率者が発表になると、意識的にトレーニングを開始したり、ウェイト
の重い者は減量したりする。登山前夜は、名物馬刺しを腹に詰め込んで体力が途切
れないようにし、無事に生徒を連れて下山した夜は、皆で乾杯である。
卒業生もまた富士登山を高校生活の思い出として話すことが多い。「先生方に励まされながら登頂したことで自信がつき、社会人として今も頑張っていられる」「岩場でへばっているたくましい男性たちを吉祥のチームが追い越したとき人生観が変わった」などと聞く度に、この行事もまんざらでもないな、とも思うのである。
◆深夜まで続く教員と生徒の真剣勝負
祥友ゼミナールの名で呼ばれる勉強合宿も名物行事だ。こちらは今夏で23年目となる。高3と高2の100名の生徒が、6泊7日で併設施設の富士寮に泊まり込み、教師と深夜まで真剣勝負さながらに勉強に打ち込む。1つの講座の授業時間は合計60時間。朝8時から夜21時まで、わずか1週間で年間の2単位分に相当する集中授業を行い、夜10時頃にその日の学習内容のテストを行う。これに80%以上の得点を取れなかった者は追試である。深夜1時、2時まで追試漬けになる生徒もいる。
引率する教員は体力的に相当にきつい。1週間立ち通しで授業をしていると、足
腰はがたがたになるし、深夜まで若い生徒と付き合うために寝不足でふらふらとし
てくる。このため、かつて風呂場で寝不足から失神した教員もいるし、終了後に病
院通いとなった教員もいる。このスパルタ式勉強会は人気も高く、いつも参加者を
抽選しなければならないほどの盛況ぶりである。吉祥では過去3年に10名の東大合
格者が出ているが、このうち半数の5名が祥友ゼミを体験している。
引率教員はすべて立候補制である。富士寮で生徒と寝食を共にして教えることが、教育上効果があると思う教員が自発的に講座をたてる。管理職から指示されて行くわけではない。仮に立候補する教員がいなければ、その年の祥友ゼミナールは中止
である。幸いこの23年間にこの催しは途切れることなく続いており、立候補する教
員も毎回8〜 9名は必ずいる。
教えることに情熱を燃やし、問題が解けた時の生徒の笑顔を何よりも楽しみにしている教員が大勢いることも、吉祥の大きな財産であると考えている。
◆意志決定のプロセス
意志決定のプロセスが吉祥でどのように進んでいくのかも点検しておきたい。教
職員会議と校務運営委員会がそれぞれ月に1回ある。教職員会議は全教職員が参加
する。校務運営委員会は、校長・教頭・事務長・教務主任・室長・部長・学年主任
で構成する管理的組織である。各室(進路指導室・広報室)や各部(教務部・指導
部・IT部・事務部)、各学年に属する教職員の意見や提言は、室長・部長・学年主
任が吸い上げて、校務運営委員会に持ち込み議論する(各教科会は教務部の管轄下
に置かれている)。いわばボトムアップ方式である。この部分がおろそかにされると、 教職員相互の意思疎通が滞り、不満が蓄積することにもなりかねないので、責任者の役割は重大である。吉祥は議論を歓迎する気風があるので、学年会や各室会・部会、 教科会での議論は、自由闊達で開放的である。案件はよくもまれて、上がってくるものが多いが、検討状況が不十分であると、校務運営委員会から案件を各室・各部・各学年に戻して、再検討を指示することもある。
教職員会議はこうした校務運営委員会におけるボトムアップ作業を経て開催される。議案は報告事項・協議事項・審議事項に整理されてから提案される。審議事項
は、さらに自由な討議を行った上で、最終的には全教職員の挙手によって採決され
る。教職員会議は校長の諮問機関としての位置づけである。従って、最終的な決定
権は校長に委ねられるが、校長がボトムアップで上がってきた案件の採決を覆すこ
とはめったにない。また教職員の意見が割れそうな案件の場合は、あらかじめ協議
事項に回しておき、自由な討議を行った上で採決はせずに、初めから校長に決定に
委ねることもある。トップダウン方式である。最近は、ボトムアップ方式では時間
がかかり過ぎて、迅速に対応できない緊急案件や最初から討議に馴染まない案件も
増え、トップダウン方式で決定することも増えてきた(もちろんこの場合も校長は
当該部署の意見をよく聞いてから決定している)。
吉祥は、案件に応じてボトムアップとトップダウンをうまく使い分けながら運営している学校だと考えている。今後も自由闊達な議論を前提に、決定した事は一致
団結して取り組める教員組織を目指していきたいものだ。
最後に、最寄りの西荻駅界隈は、庶民的な赤提灯のお店が多い地帯である。焼き鳥やおでんを摘みながら、教育論議をするのが好きな教員が多いことも、「吉祥の
元気」につながってきたことを付け加えておきたい。
(「ビジョナリ−2007年12月号掲載)
吉祥女子中学校HP
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