教育天声人語
「琴線」に触れる時間


  仕事関連でもなく、生活上の実用でもなく、ただ琴線に触れる時間を持ちたくなるこ
 ことが書かれていた。板橋の商店街で中華そば屋を経営する62 歳の男。長年一緒に店を
 きりもりしてきた妻を失い、店を閉める。ある日読み始めた『神の歴史』から、灯台巡
 りをする若者から妻に宛てた1 枚の葉書が落ちた。出雲日御碕灯台が描かれていた。が、
 妻からは出雲の話は聞いたことがない。自分の知らない過去があるのでは……
  日御碕灯台ははるか昔に行ったことがあった。灯台巡りを意識していなかったが、思
 い起こしてみれば、竜飛岬、禄剛崎(能登半島の先端)、御前崎、伊良湖岬、安乗埼(志
 摩半島)、足摺岬……と、あちこちの灯台を訪れていたので、この書名に惹かれた。
  主人公は高校中退。大阪に転勤する幼馴染から「お前の話は面白くない。それは『雑
 学』が身についていないからだ。優れた書物を読み続ける以外にお前が成長する方法は
 ないぞ」と言われる。屈辱を忠告と受け止めたとき、店の客である老人に何を読めばい
 いか尋ねる。『モンテ・クリスト伯』『レ・ミゼラブル』『渋江抽斎』(森鴎外)
 『渋江抽斎』では「ひとりの人間が生まれてから死ぬまでには、これほど多くの他者の
 無償の愛情や労苦や運命までもが関わっているのか」と粛然とする。そして灯台を前に
 らなければならないことが山積していることは十分承知している。が、目の前のことで
 したときに「多くの労苦に耐えて生きる無名の人間そのものではないか」と感じるので。
 ある。
  劇的なことが起こるわけでもない。どこにでもいる夫婦、友だち、平凡な日常の淡々
 とした描写が続く。が作品に登場する各灯台を訪れた昔の自分を思い出しながら、琴線
 は心地よく震えたのであった。

「ビジョナリー」2020年11月号掲載     |もくじ前に戻る次に進む

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