教育天声人語
高齢化とともに言葉も失われる

  少し前に地元の床屋に行った。出版社にいたころ、床屋は理髪店、本屋は書店に書き換えてい
 た時代があった。今日の話は床屋でないとイメージに合わない。小さな店で椅子が3台しかない。
 鏡に向かって一番右の椅子に案内された。真ん中には私より年配の男性、その向こうが小学生の
 男の子だった。
  鏡の右の台に小さなテレビが据えられてあり、女子の体操を映していた。村上茉愛が床に挑む
 ところだった。たちまち画面に集中。村上が終わって外国人選手になったのでテレビに集中して
 いた神経を外すと、隣のやり取りが耳に入ってきた。
  「水戸黄門が始まるらしいですよ」「何チャンネル?」「BS6じゃなかったですかね」「なんだ、再
 放送か」「いや、新作です」「じゃ、誰が黄門をやるの?」「武田鉄矢」「チッ、喜劇になっちゃうじゃ
 ねえか。見る気がしねえな」「お客さんにとっての黄門は、東野英治郎ですか?」「東野英治郎はま
 あまあだったが、西村晃や石坂浩二は全然だったな。」「どうしてですか」「黄門は天下の副将軍だ
 ぞ。その威厳がなかったな。石坂なんて、江戸時代の顔をしてねえしさ」「じゃ、誰なんです?」「そ
 りゃ、銀幕のスターさ」「スターって?」「う〜ん、思い出せねえな」しばらく静かな時が流れる。「あ
 思い出した。月形龍之介よ」、
  村上が次の種目に入る。テレビに集中。終わったところで、隣の話は大岡越前になっていた。「昔
 はさ、お白州で刑を言い渡したじゃねえか。市中引き回しの上さらし首とか、簀巻き(すまき)に
 して海に沈めるとか……」
  50年以上耳にしたことがなかった言葉が突然耳に飛び込んできた。隣の少年にとってはまるで
 チンプンカンプンで、外国にいる気分になったに違いない。「簀巻き」を口にする人間も、あと20
 年もしたら絶滅してしまうことだろう。

「ビジョナリー」2017年11月号掲載     |もくじ前に戻る次に進む

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