教育天声人語
汝は 愛することを望むや 愛されることを望むや

  「汝は 愛することを望むや 愛されることを望むや」
  女子校の教室で、教師が背を向けて板書しているときに、小さな紙片が回ってくる。主人公は、
 即座に「愛されることを望む」に「正」の字の1本を加え、後ろに回す。それまで誰一人「愛す
 ることを望む」に線を引いたものはいなかったのだから、当然であった。
  紙片が後ろから戻ってきた。隣の子が逡巡することなく、真っ白だった「愛することを望む」
 の下に線を入れる。主人公は虚を突かれる。地味でおとなしく、普段まったく目立つことのない
 子の思いがけない行動。主人公の頭の中はその子のことでいっぱいになる。
  髪を振り乱しながらも、顔を上げ、胸を張って、人生の荒波を乗り越えていく大人になったそ
 の子の姿。
  ――もう作品名すら忘れてしまったが、太宰治の小説の一節である。
  何を学びたいかより大学名で進学先を決める、勉強が大変そうな留学なんてもってのほか、誰
 もが知っている有名企業に入りたい、商社に入社しながら海外勤務は嫌、生活水準を落としたく
 ないから結婚しない……こうした若者のメンタリティーは、若者自身のせいというよりは、むし
 ろ我々大人が作ってきたのではないだろうか。
  日本の将来は間違いなく厳しくなるから、わが子、わが生徒には、安全で確実な人生を歩んで
 もらいたい。そのための環境をできるだけ整えてやりたい。小さいころから、親が、学校が準備
 をし、その上を歩くことに慣れた子どもは、準備されていない世界には踏み出さない。傷つくか
 もしれない「愛すること」よりも、環境が用意された「愛されること」を望むのである。
  誰も記していない白いスペースにはじめて線を引く勇気、少数派であることを恐れない勇気。
  いま我々は「その子」を育てなければならないのではないだろうか。

「ビジョナリー」2011年10月号掲載     |もくじ前に戻る次に進む

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