教育天声人語
2011年3月卒業した君たちへ

  2011年3月、日本の戦後史に深く刻まれた年に高校を巣立つ君たち。卒業式もなかった年に、あっ
 ても自分たちだけで、送ってくれる在校生のいない中での卒業式であった年に卒業した君たち。他
 の多くの世代が記憶を曖昧にしても、君たち自身は決してこの3月を生涯忘れることはないだろう。
  テレビに延々と映し出される大惨事の模様、あってはならないはずの原子力発電所の爆発シーン
 ……。そして遠隔地の悲惨な出来事というだけでなく、首都圏に住む君たちにももろに影響した交
 通事情、初めて聞いた「輪番停電」。この3月は、普段の何十倍も色濃く、いろんな色が鮮烈にキャ
 ンバスに描かれた月であった。
  それは目を覆いたくなるような光景というだけでなく、危険な業務に挑む仕事に対する責任感、
 被災地の人々が支えあう強い絆、遠くの人たちからの温かな支援、世界はひとつと思えるうれしい
 感覚、海外から称賛される日本人の高潔な人間性……そして「買占め」。君たちが目にしたキャンバ
 スは、普通なら目にすることのない、人生の、人間性の濃厚な絵だ。1年先輩が目にしたものとも、
 1年後輩が目にするであろうものとも決定的に違う。
  そんなすごいものを目にした君たちだからこそ、お願いしたい。今すぐでなくてもいい。大学を
 出た後でも、社会人になって何年経ってからでもいい。真に強くたくましい人間になり、弱い人を
 支援してほしい。今回のさまざまな場面で気がついたことと思う。「偉い」ということは「地位」では
 なく、その人が行った「行為」であることを。そしてもう一つのお願いは、整った恵まれた環境で
 はなく、「荒野」をめざしてほしい、ということだ。
  私はちっぽけな人間だが、君たちの3倍も生きてきた人間として一言アドバイスしたい。
  人生の充実は、どこそこに所属したから得られるというものではなく、自分自身がどのような姿
 勢で向き合ったかで得られるものだ、ということを。

「ビジョナリー」2011年4月号掲載     |もくじ前に戻る次に進む

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